日本のプロ野球(にほんのプロやきゅう)では、日本で行われるプロ野球全般について述べる。
歴史「#各年の日本プロ野球」も参照
以下のうち、1949年の日本野球機構(NPB)発足以降で特記のないものはNPBの事象を指す。
1871年9月30日:横浜の外国人居留民とアメリカ軍艦「コロラド号」の乗員との間で、現在の横浜スタジアムを球場として日本で初となる野球の試合が行われた。
1872年頃:第一番中学(現在の東京大学)の外国人教師ホーレス・ウィルソンによって、学生たちの間に野球が広まる。
1907年:慶応大学対ハワイ・セントルイスの一戦で初の有料試合。
1908年:アメリカのプロ野球チーム(マイナーリーグ主体)来日。
1909年:羽田球場建設。日本運動倶楽部設立。
1920年:日本運動協会設立。日本のプロ野球の始まり。次いで天勝野球団が設立される(プロ球団を宣言するのは1923年)。日本運動協会は朝鮮・満州にも遠征し人気を博す。
1923年:関東大震災の震災被害により日本運動協会・天勝野球団ともに解散。日本運動協会は阪神急行電鉄により宝塚運動協会として再結成。
1929年:宝塚運動協会解散。
1934年:大日本東京野球倶楽部(→東京巨人軍)が設立。
1935年:大阪野球倶楽部(→大阪タイガース)が設立。
1936年:大日本野球連盟名古屋協会(→名古屋軍)、東京野球協会(→東京セネタース)、「名古屋野球倶楽部(→名古屋金鯱軍)、大阪阪急野球協会(→阪急軍)、大日本野球連盟東京協会(→大東京軍)が発足。これらの球団と巨人・大阪により、2月5日、日本初のプロ野球リーグとして日本職業野球連盟設立。ペナントレース(公式戦)が始まり、日本における全国規模の社会人スポーツリーグ第1号となった。連盟が設立された2月5日はのちに「プロ野球の日」と定められる。2月9日、名古屋の鳴海球場で、東京巨人軍・名古屋金鯱軍がプロ野球初の対抗試合を実施した[1]。
1939年:日本職業野球連盟が日本野球連盟に改称。
1944年:日本野球連盟が日本野球報国会に改称。しかし同年中に活動休止。
沢村栄治など多くのプロ野球選手も第二次世界大戦に動員され、戦死者も多数出た。ヴィクトル・スタルヒン(ロシア生まれ)が敵性人として抑留、のち追放された(戦後に復帰)。
1945年
1月1日:5日:正月大会が関西で開催。
1945年(戦後)
11月6日:日本野球連盟の復活宣言。
11月23日:東西対抗戦開催。
1946年:ペナントレース再開。
1947年:日本では2例目のプロ野球リーグとして国民野球連盟が発足。
1948年
この年、日本プロ野球初のフランチャイズ制度が暫定導入。
2月:国民野球連盟が解散。
8月17日:日本プロ野球初の夜間試合(ナイトゲーム)が、横浜公園平和野球場(ルー・ゲーリッグスタジアム)にて開催。